旅・たび・にっき

旅や乗り物関連のお出掛け話のブログです

飛島と愛知・三重の旅・2日目

酒田駅に着く30分くらい前に起きた。寝台の中で着替えなどをしていると、向かいの男性が声をかけてくれた。酒田駅で降りることは話していたので、起きているか気を遣ってくれたのだろう。それからしばらくすると、車掌さんも声をかけてくれた。車掌さんが起こしてくれるなら、目覚まし時計など必要ないなと思う。

4時35分、酒田駅に到着。

辺りはすでに明るい。待合室でしばらく時間をつぶしてから駅を出た。あの悪夢(「盛岡と鳴子温泉の旅」参照)から3年、再びこの地を訪れようとは。酒田駅周辺はあまり変わっていない印象だ。とはいっても、3年前は真っ暗だったわけだが。
船の時間まではたっぷりと時間があるので、朝食をとったり、駅周辺を散歩したりした。例のトイレで歯を磨き、バス停にも行ってみた。闇にそびえて恐怖感すらあった大型スーパーも穏やかに建っている。
しばらくすると、ちょうど通学時間になったらしく、駅方面から制服姿の高校生がどんどんを湧き出してきた。どこの高校だろうか、妙にかわいい制服があった。

あまりゆっくりしすぎて乗り遅れたらただのバカになってしまうので、早めにタクシーに乗って、ニューとびしまの発着所に行き、予約したチケットを乗船券と交換した。辺りには人が溢れているが、予約していた人はひとりも見かけなかった。時刻表では“要予約”となっていたのだが。ニューとびしまに乗り込むと、かなり大きな船だったが、席はほとんど埋まっていた。
出発してしばらくすると、港も見えなくなり、周りがすべて海となる。ほとんど揺れもなく、約1時間半の航行で飛島(勝浦港)に着いた。

船を降りると、船内にあったパンフレットを参考に、すぐに荒崎へと向かった。島田荘司氏の『飛鳥のガラスの靴』の吉敷刑事のように。海水浴場を過ぎると、小説の通り、人はまったくいなくなった。あまり時間もないので、少し早足で歩く。
賽の河原を見て、明神の社へ。

小説では女人禁制の但し書きがあるということだったが、そのようなものは見当たらなかった。じっくりと見物してから次に向かった。途中から順路を外れたのか、靴を濡らしそうになりながら水辺や草むらを歩いた。やっとたどり着いた荒崎は小説を読んだ時のイメージとは違ったが、そこから望む日本海は美しかった。


酒田に戻る船に乗り遅れたらとんでもないことになるので、帰りはさらに早足で歩いた。途中、海岸には韓国から流れ着いたと思われるハングル文字のペットボトルが何本もあった。
賽の河原辺りまで戻ってくると、時間に余裕も生まれたので、少しゆっくりして写真も撮った。その後、血の池も発見したが、これは注意しないと見落とすくらい小さなものだった(あるいは別ものか)。
勝浦港まで戻り、みやげ物を物色したが、干物のようなものしかないので、スタンプだけ押して、再び船に乗り込んだ。
鳥海山を見ながらの航行は、やはり1時間半ほどで終わった。
船と飛島。


船から見た鳥海山

タクシーで酒田駅に戻り、次の列車までは時間があるので、街を散策し、酒田市立資料館に入った。入館料は100円だった。酒田の大火の資料などをじっくりと見た。
それから清亀園で庭園を見てから駅に戻った。

酒田駅からは3年前と同じように特急「いなほ」新潟駅まで行く。
帰りの乗車券。行きと発着駅は実質同じなのに、約5000円高い。


「いなほ」の普通指定席B特急券



新潟には何年も前から遊びに行きたいと思っているのだが、なかなか実現しない。今回も、次の列車への乗り換え時間の3時間しかない。
辺りはすでに真っ暗だが、ひとつくらいは観光を、ということでレインボータワーに行ったが、なぜか動いていない。時間的にはまだ大丈夫なはずなのに。
仕方がないので、近くのダイエーに行き、本屋で地図を見、公衆電話の電話帳の住所と照らし合わせて、歩いて行けそうな銭湯を探して、行くことにした。
駅を挟んで反対側に行き、まずラーメン屋で夕食をとった。それから、調べた銭湯まで行き、疲れを癒した。そこには薬湯もあり、腰痛に効くというので、昨晩の寝台車生活で痛くなっていた腰を楽にしようと、ゆっくり浸かった。

ポカポカ状態で新潟駅に戻り、寝台急行「きたぐに」に乗り込んだ。
きたぐに」の急行券&B寝台券。



「鳥海」と同じB寝台の下段ではあるけど、客車寝台だった「鳥海」とは違い「きたぐに」は電車寝台で、しかも三段式寝台だ。狭くて、これは寝づらかった。それでも、それなりに寝られた。
しかし、新潟の銭湯でせっかく楽になった腰痛がまた悪化してしまった。