旅・たび・にっき

旅や乗り物関連のお出掛け話のブログです

飯山線と喜多方の旅・2日目

発車してすぐに日付が変わった。最初のうちは窓の外を見ていたが、眠らないと今後に差支えがあると思い、眠ることにした。しかし、慣れていないのと、興奮のためか、なかなか眠れない。リクライニングを全開にしたり、狭い座席に横になったりと、いろいろな格好をしているうちに、少し眠ったようだ。気が付くと、横川駅で機関車を連結するところだった。碓氷峠を超え、軽井沢駅を過ぎるとまた眠ったようだ。

4時43分長野駅到着。外はまだ真っ暗だ。改札を出ようと思ったがやめて、ホームのベンチに腰を下ろした。雑誌を読んでいると、辺りが少しずつ明るくなってきて、白と青の気動車が入ってきた。ここで駅弁を買い、朝食にするつもりだったが、早朝のため売店が開いていない。仕方なく列車に乗って、出発を待った。発車3分前くらいになってようやく売店が開いた。しかし、隣のホームの売店だ。買いに行って乗り遅れたら計画がめちゃくちゃになってしまうので、駅弁はあきらめた。
通路を挟んで反対側のボックス席に高校生らしき男の4人組が来たので、うるさいと思い、最初の駅で隣の車両に移った。しばらくすると、豊野駅を過ぎ、正式に飯山線に入った。
だんだん山の中に入っていく。途中で朝日が見えてきた。正面には緑の山、下には湖のような川、そして昇ったばかりの太陽。これらのものが、うっすらと霧のかかった空気の中で映えている。なんとも言えぬ美しさで、早くもやっぱり来て良かったと満足した。しかし、その後は期待が大きすぎたせいか、あまり満足のできる景色はなかった。
通学時間帯になったらしく、途中から女子高生が増えてきた。すると、しばらくして森宮野原駅に着いた。ここでホームの反対側に停まっている列車に乗り換える。ここからは、さらに一駅ごとに女子高生が増え、車内がかなり混んできた。向かいの席でもふたりの女子高生が英語の教科書を開いて勉強している。が、それも十日町駅までで、終点の越後川口駅に着く頃にはかなり空いていた。女の子は長野県から新潟県に入ると、かわいい娘が増えたような気がした。

越後川口駅で上越線に乗り換えるため、ホームを移動してベンチに腰を下ろして待っていると、後ろに座っている人の会話が耳に入った。その言葉が新潟弁だったので、妙に落ち着いた気分になった。というのも、母親が新潟出身で、聞き慣れた言葉だったから。5分ほどで列車が来て、乗り込むと約10分で小出駅に着いた。

ここからは、いよいよ只見線だ。一番端のホームに行くと、だいだい色と赤のいかにもローカル線といった感じの2両編成の気動車が停まっていた。乗り込むと予定通り進行方向に向かって右側の席を確保した。しかし、どちらに座った方がいいか考えてくる必要などまったくなかった。なぜなら、同じ車両には自分以外に、おじさんとおばさんの3人組がいるだけで、右でも左でも自由に移動できるほどガラガラだったからだ。そこで、景色のいい方に移動しながら車窓の景色を楽しんだ。窓の下では、千曲川がさまざまな表情を見せていて、とてもきれいだ。窓から入ってくる風も心地よかった。トンネルに入ると、強くて非常に冷たい風が吹き付けてきて寒いくらいだった。
只見駅でいったん乗り換えて会津若松駅に向かう。途中で千曲川に別れを告げ、景色が単調になってくると、西若松駅を過ぎ、会津若松駅に到着した。ここで4時間あまりの只見線の旅は終わった。

会津若松駅では次の列車まで1時間近くあるので、途中下車して駅前を歩いてみた。しかし、駅の近くはビルばかりで、これといって見る場所もないので、駅に戻った。駅の売店でサンドウィッチとコーヒー牛乳を買い、軽い昼食とした。

それから、磐越西線喜多方駅へ向かった。何駅目が喜多方駅だったか覚えてなかったので、塩川駅に停まった時に、どこかわからず慌ててしまった。しかし、持参した予定表を見て、まだ喜多方着の時間になっていないことを確認し、落ち着いて座りなおした。14時10分、今度は間違えなく喜多方駅に着いた。
駅を出て、駅前通りを一通り歩いてから、支那そばののれんが下がった店に入った。中では、修学旅行生らしき二組の団体がラーメンを食べていた。テレビの見える席に着くと、この店の特製だという蔵ラーメンを頼んだ。具の多いラーメンだ。コーン、わかめ、チャーシュー、卵など。タケノコだと思って食べたのがショウガだったので、それだけは食べるのをやめ、他は全部たいらげた。かなり満腹になった。味の方は、期待が大きすぎたせいか、店が悪かったせいか、あまり良くなかった。特に麺は柔らかめで口に合わなかった。
次の列車の時間まで1時間近くあるので、店を出てから少し歩いてみた。蔵のたくさんある所までは行けなかったが、いくつかの蔵を見て、蔵の街喜多方を実感した。それから駅に戻り、絵はがきと土産のラーメンを買い、絵はがきをポストに落とした。

帰りの磐越西線は、なんと客車列車であった。今までに客車列車に乗った記憶などない。思わぬ収穫に感動を覚えた。しかし、発車するとそんな感情とは裏腹に、雨粒が車窓をたたき始めた。天気予報を信じて傘などは持ってきていない。もっとも、もう地元まで傘の必要な場所などないが。

会津若松駅での乗り換え時間はわずか3分。かなりきついかと思ったが、楽に乗り換えることができた。会津高原鉄道の白に緑のラインが入ったきれいなデザインの列車に乗り込む。車内はクロスシートロングシートの組み合わせで、東武6000系を連想させ、運転席は先頭左側の一画を棒一本で仕切ってあり、東武キハ2000形を思わせるつくりだ。乗客は席がいくつか空いている程度の数だ。
西若松駅を過ぎ、正式に会津高原鉄道に入る。西若松駅までの切符しか持っていないので、車掌さんに、
東武まで買えますか」
と訊いた。すると、
「どこまでですか」
と言うので、地元の我が家最寄り駅を言うと、切符を発行してくれた。3400円だった。ロングシートに腰を下ろして、夕日を正面に見た。朝日と夕日を両方見たのなど何年ぶりだろうか。ましてや、こんなに美しい太陽など。太陽とはこんなにも美しいものだったのかと、しみじみ思った。

終点の会津高原駅に着くころには、辺りはもう真っ暗になっていた。ここで野岩鉄道に乗り換える。車内と外の温度差が激しいらしく、窓はくもっている。手で拭いて外を見るが、暗くてほとんど何も見えない。車内はガラガラで好きな格好ができるので、一日中座っていて痛いお尻が楽になるような格好を探した。寝転がったり、足を伸ばしたりしているうちに、新藤原駅に着き、東武鉄道に入った。

30分ほどで終点の下今市駅に着き、準急に乗り換えた。車両は東武6050系だった。座れなかったら嫌だなと思っていたが、車内は空いていて、4人掛けボックスを独占できた。乗ってもなかなか発車しないなと思っていると、隣のホームにスペーシアが入ってきて、先に出ていった。それから、間もなく準急も発車した。日光線内は空いていたが、伊勢崎線に入って少しずつ混んできた。外の景色を見たり、乗客を観察したりしていると、地元駅に着いた。約24時間にわたる旅がここで終わった。

夜行列車、客車列車に初めて乗ったり、すばらしい朝日と夕日が見られたり、川と山が織りなす美しい景色が見られたりと、貴重な体験ができ、本当にこの旅に出て良かった。